バ科学者のノート 2冊目

小説をただひたすらに書いていく

32 帰り道、一つの真実

「先に断っておこう。黒波保険医は我々の味方だ」
そう前置きをする朝霧は、一人で下校しようとしていた暁を捕まえて共に河川敷を歩いていた。陽は長くなってきたが、夕日が沈むにはまだ早い。
「その上で、黒波保険医はあえて敵のふりをしている。君たちを本当の意味で傷つけないためにね」
「誰から聞いた、そんな話」
「日頃の観察さ。この陣内朝霧に見透かせないものなどない。もっとも、それは君の耳も同じことが言えよう。そうだろう?」
既に互いの間にやましい秘密はなかった。隠したところで見抜かれるのを理解したからである。

 

「黒波保険医は我が校において秘密裏に進められているとある計画に協力している。先ほども述べた通り、協力している「ふり」ではあるがな」
「とある計画?」
「そう。世界情勢がひっくり返りかねない計画、というよりも実験を我が校は行っている。黒波保険医は協力するふりをして食い止めようとしているのだ。それを知っているのは保健委員の春日くんと、私だけ」
「……あえて訊こう。その「計画」というのは」
「それは」
朝霧が言葉を紡ごうとしたその時。

 

「陣内朝霧、遠賀川暁」

 

声が聞こえた。立ち止まって視線を上げると、そこに立っていたのは水巻五月雨だった。
「何だね、水巻くん。我々に用があるなら話を聞こうではないか」
「……」
暁は眉間に皺を寄せた。無理もない。

 

五月雨の周りには既に、「仮面」が展開されていたからだ。

 

彼を囲うように飛び回る本の群れ、構えられる巨大な二本の木槌。暁は警戒した。仮面を展開しているにも関わらず、正気を保ち、こちらを見据えている。
「……敵意、殺気、嫌悪感」
聞こえる。鋭い刃物を刺されるような「音」。それは朝霧にも見えているらしい。
「悪いね。遠賀川くん。私の「仮面」は戦闘向きではないんだ。フォローはするので、お願いできるかね?」
「……了解した」
暁の周りに、白い帯のような「仮面」が展開された。

13 雑踏からの忠告

 伊藤浩太は買い出しに街に出ていた。
 人で賑わう市場を、袋を抱えて歩く浩太。人々の往来が激しく、一人一人の顔が見れるわけではない。
「人間も大変だなぁ。こんなところにほぼ毎日立ち入らなきゃいけないなんて」
 彼は人間ではない。いや、人間ではあるのだが、人間ではない性に囚われている。人間に戻ろうと思ったことはないが、偶に前の生活が恋しくなることはあった。そう、例えば同じ境遇にいる弟のことを考えると。

 

 『……やっパり、こんナところ二いたんダね』
不意にそんな声が聞こえた気がして浩太は立ち止まった。周りを見渡しても誰もいない。いや、
『困ったもノだね。君たちを外デ捕まえルのは難しイや』
雑踏の中から聞こえるその声は、一見何の意味もなさない談笑。その一部が切り貼りのようにこちらに届いてくる。浩太は耳を澄ませながらゆっくりと歩き出した。分かっている。こんな現象を起こせる者が居るかは調べてみないといけないが、仮にいたとしたら自分は既にその術中だ。
「僕に何か用? 隠れてないで出てこればいいのに」
『そうもイかないのサ。僕ハ忙しいかラね』
こちらの声も向こうに届いている。荒事を引き起こさないように浩太は言葉を選ぶ。
「そっか。要件は早めに言ってくれるかい」
『せっかちダね。言われなクても、要件を伝エたらすぐ帰るサ』

 

 『巷で暴レている化け物ノ存在を、君は知ってイる筈ダ。君たちヤ忌み子が抹消する、あの黒い怪物をネ』
人目につかないところを選んで討伐に当たっていたつもりだったが、その存在を知っているということはかなりの因縁の者だろう。
『あれの親玉ガ、西ノ果てに現れる予兆が見えタ。すぐに向カうべきなんじゃナいかな?』
「その情報の信ぴょう性は?」
『あハは、君が一番分かっテる癖ニ』

 

 『急いだ方がイいヨ。僕は知らナいけどね』
それを最後に雑音が元の体裁を取り戻した。体を動かす。特殊な術にかかっている様子はないが、後で乙哉に見てもらった方がいいだろう。
「……馬鹿正直に信じるつもりはないけど」
緊急で招集をかけた方がいいかもしれない。浩太は袋を抱えて歩を進めた。

文章特訓SS 情景描写編

つと、流し込む紅茶の味が甘い。立ち上る湯気は窓の外に散る正反対の存在と同じ色をしている。
「遠くからご苦労だったね。疲れていないかい」
「奉仕対象の命令です。そこに疲れは関係ありません」
俺の返事に夢岡氏は困ったように首を振った。「これではまるでロボットだ」と付け加えながら。
夢岡輝尾。音無家の奉仕対象の一人にして協力者。探偵にして異能力者。探偵業と異能力者管理施設の施設長を同時に務める、頭のいい人だ。月に一度、地方にいる職員から報告書を受け取る際に我々を呼び、チェックの手伝いを任せる。本当なら寺洲おじさんの仕事だったのだが、彼が原稿に追われているそうなので代わりに足を伸ばした次第だ。
「しかし、寺洲さんもそうだけど、君が来ると安心するね」
「それは、外見に生じる変則的な見解が生まれずに済むから、ですか」
「そう。僕の眼を見て怖がらないのは君くらいさ」
 夢岡氏の眼は特殊だ。曰く、その目で見つめられたものは嘘をつけなくなる、と。ところが俺がその目を見たところで怖くもなかったし、そもそも秘密はあれど嘘はあまりつかない自分には相性が悪かった。これを夢岡氏は大変気に入ったのである。
「もうすぐ職員が来るから準備をしておいてくれないかな。今日は風浜君が買い出しに出ていてね」
「分かりました」
白を基調とするすっきりとした明るい空間。事務所らしい空間といえる。窓から入り込む青空は綺麗なのだが、生憎今、空は灰色だ。
「それから少しお話をしよう。君の調子も見ておきたい」
夢岡氏はにこにこと笑ったまま資料を整頓しだす。俺は一言返事をすると、応接ソファから立ち上がった。
「……雪、止みませんね」
「君の今の住まいでは珍しくないと聞いたけれど」
雪は嫌いではないが、好きでもない。極寒を閉じ込めた結晶が降る空は、何故か我慢している時より暖かいから。

31 風紀委員の憂鬱

人は規律なしでは生きていけない。
五月雨の持論だ。しかし、人は自分を守るはずの規律に背きたがる。
「……」
休憩室に立ち寄り、エナジードリンクを喉に流し込む。刺激が口を通って喉を襲うが、胃に落ちたそれにもはや反抗思想はない。

 

先ほど出会った生徒を思い出す。
水城雲外。もう幾度となく注意したにも関わらずスカートの下にジャージを穿くのをやめない。言葉遣いも悪く、従う気は皆無。
陣内朝霧。登校免除だか知らないが校内ではたまにしか見かけない。やはり口が悪く、高圧的な態度をとる。
そして、遠賀川暁。正式に許可は得ているが、あの耳当てを音楽用と勘違いした生徒がヘッドホンをつけだす始末。

 

気に入らない。彼は缶をゴミ箱に捨てると休憩室を出た。
もうすぐ部活の時間である。そして、五月雨にとっては体を鍛える時間であり、規律を徹底して守らせる時間でもあった。

 

正義こそ正しく執行されるべきなのだ。
悪はいらない。罪はいらない。甘えはいらない。
それが、すがるべき自分の信念になっていた。

 

彼の周りには、不穏な凶器が回っていた。