バ科学者のノート 2冊目

小説をただひたすらに書いていく

33 『篝火』

幾度となく金属のぶつかるような音がする
僅かに下がりながら、ルソーは飛び交うナイフの斬撃を受け止めていた
飛びかかるライターは壁や天井を蹴りながら襲い掛かってくる
身体能力、体力、身長差、そして純粋な腕力。どこをとっても正直なところ、この勝負はルソーが圧倒的に不利であった

「どうした、『弁護士』。まさか手を抜いてるわけじゃねぇよな?」
小声でライターが囁く
「貴方相手に手を抜けるほど、僕は余裕のある人間ではありませんよ」
斬りかかったナイフの一撃を身を低くしてかわし、反対側に転がり込むルソー
体制を立て直し包丁を振り上げたが、むなしくもライターの振り返りざまの一撃で弾かれた

距離を置き、新たに包丁を胸から取り出すルソー
やはりこの勝負、互いに殺す気がないとはいえ、油断すれば大怪我をする。ルソーはそう思いながら、再び向かい合うライターを見た

その時、ガチャガチャという金属の音が聞こえ、ルソーは振り返った
数人の男、ルソーと同じ警備服を纏った男たちが、拳銃を向けていたのだ
狙いは勿論、侵入者であるライター
ルソーが制止するより早く、拳銃は発砲されていた
だが、それより先に

ギンッ! ガガガガガッ!
激しい騒音の後に残ったのは、硝煙の匂いと、ルソーの足元に落ちる幾つもの弾丸
奥にいたライターは見た。いや、速すぎて目視できたかも定かではない
ルソーは包丁一本で、放たれた弾丸を全て落としたのだ

「……あの」
ルソーは包丁を握りしめたまま、先頭に立つ男の襟を掴んで引いた
「何、邪魔してるんですか。彼は僕が相手をしている最中なんですよ」
冷酷な声が突き刺さる
「手助けなど不要です。死にたくなければ帰ってください。それとも、雇われの僕は用済みですか」

そこまで言ったところで、ルソーは襟を放し僅かに横に傾いた
突然のことが起こりすぎて呆気にとられる男
瞬間、その額にナイフが突き立った

「ちっ、外したか……」
ライターが呟く
振り返るルソーは、男たちに見えない角度で僅かに目を細めた

「来てください、『篝火』」
口はそう動いていた
「言われなくても」
ライターは床を蹴りだし、ルソーにナイフを向けた

再び響く金属のぶつかり合う音
しかし、今度はルソーの方が確実に、一歩ずつ下がっていく
二人の斬撃は時折警備服の男たちを巻き込みながら窓際へと移動していく
そして
「……!」
ルソーが足を止めた
とうとう彼は、窓際まで追い込まれたのだ

今、この状態でライターの斬撃を食らえば、受け止めることもかわすこともできないのは承知だった
ルソーは正面を見据える。包丁の柄をしかと握りしめる
対するライターは一度距離を置き、さっと周囲を見渡す
背後には警備服の男達。もう、戻ることはできないだろう
それを見た上で改めてルソーを見る
どんな状況においても死なない、その眼光
あんたは本当に死ぬつもりはないんだな。そう思って、ライターは最後の一振りのために距離を詰めた

ほんの一瞬、ルソーは体を横にかわしただけだった
だが、それだけで、ライターの体は外に放り出されていた
そう、この窓は、ライター自身が「侵入するために」割った窓
直進すれば、落ちるにきまっている

同時にルソーも身を投げていた
空気と重力に挟まれ、身を削られるような感覚が襲う。内臓が無重力に跳ねる
二人はそのまま、真下のゴミ捨て場に転落していった

大きな音を立てて砂埃が舞う
上の階にいた男たちが、窓の下をのぞき込む
この後、下に駆けつけ周囲を捜索したが、侵入者も、雇われ警備員も、どこにも見当たらなかったという