39 「悪い虫」(『殺戮紳士』前 後)
「そうカリカリしないでくれよ、草香。これは君のためにやってるんだからさ」
ニヤニヤ笑いを崩さずに名瀬田は言う
草香は片手を向けたまま、ルソーのそばから離れようとしない
「私のため? 何を言ってるのです。私はただ、博士を探しているだけです」
「それだよ、それ」
「君は何か勘違いをしている。ここは、君の知る世界じゃない。博士なんて、「古伊勢 絵美」なんて、いないんだよ」
「わかってます、そんなこと」
「いいや、わかってないね」
草香の反論を切るように名瀬田は言い、ルソーに刀を向けた
「現に君は、そんな男の言いなりになっている。君の言う「仲間」なんかに、似もしない男に」
「その刀を下ろしなさい!」
草香が叫ぶ。機械のモーター音がする
ルソーが見たのは、草香の掌
中央が格納され、現れたのは空洞
草香はそこから一発、銃弾を解き放ったのだ
ルソーは合点がいった
これまでにルソーが救われた二発の銃声
そして、自らを「兵器」と称した草香のこと
そう、彼女は自らの体に凶器を隠し持っていたのである
放たれた弾丸は名瀬田の手にあたり、刀が大きく弧を描いて飛ぶ
そしてそれは、後方の壁にぶつかって落ちた
自らの武器を失った名瀬田だったが、それでも嘲笑を絶やさなかった
「……ほら、やっぱりわかってない」
「生き写しだか、転生だか、はたまたただ髪を染めているだけかはしらないけど、そいつは君の「仲間」じゃない。いい加減気付きなよ」
そういう名瀬田になおも鋭い視線を向ける草香
名瀬田はやれやれと首を振った
「君は「昔」から頑固だったね。これだから」
「僕はその「悪い虫」を始末しなければならないじゃないか」
ぞっとした。筆舌しがたいが、そういう表現が一番ちかいような、とにかく冷たい感覚をルソーは感じた
名瀬田が突っ込んでくる。武器も拾わず、右腕を伸ばして
ルソーは草香の服をひっつかむと、一度名瀬田を横にかわし、路地へと走り出した
踵を返して名瀬田が追ってくる
ルソーは包丁を持てるだけ取り出すと、名瀬田に向かって放った
武器を持たない名瀬田は一度足を止めた
包丁の群れをかわし、再び路地の方を見た名瀬田は、小さく舌打ちをした
「逃げられた、か」
それに続いて、乾いた笑い声をあげた
「いいよ。今は見逃してあげよう。だけどね、いつまでも逃げられると思わない方がいいよ」
狂ったような笑いが、人気のない路地裏に響いた