バ科学者のノート 2冊目

小説をただひたすらに書いていく

49 ピースフル

「……ここ、か」
月があと少しで真上に到達しようとする頃
一つの建物の前にアイラ、草香、ヤヨイが集まっていた

メールの主は、メールの内容を草香とヤヨイにだけ公表し、日付が変わる頃にこの建物の屋上に向かうように指示した
ご丁寧に、『弁護士』以外は全てひらがなで打つ手の施しようである
指定された建物を見上げ、アイラはひとりごちた
「あの『弁護士』が、そうやすやすと捕まるかよ」

「行きましょう。彼の安否が心配です」
そういいながら、草香が踏み出した
「そうだね。ルソー君、大丈夫かな」
ヤヨイもそれについていく
何かひっかかるような気がするが、今はそれどころではないだろう
そう思い、アイラも走り出した

裏口を入ってすぐから階段を上り続ける一行
息があがるほどではない。この辺では高い方だが、ビルにしては小さい建物で、すぐに屋上に辿りつけそうだった
と、その時

「危ない!」
ヤヨイが叫び、片腕を振るう
金属音と共に一行の前方で何かが弾かれ、床に落ちた
アイラが駆け寄り、それを拾い上げる
「……これは……」
それは、血のように赤黒い色をした包丁であった

「これって……」
「ルソー君に、なにかあったのかな……」
僅かにたじろぐ草香とヤヨイを見やり、アイラはさらに歩を進めた
ルソーに何かあった。それはゆるぎようのない事実だった

足音が響く。確実に上へと向かっていく
やがて一行は、一つの扉へとたどり着く
アイラは率先し、そして何も疑うことなく、目の前の扉を開けた

肌を刺す寒さが彼らを襲う
強い風の中に、アイラは見た
もう少しで頂上に達しようとしている月と、それを眺める見慣れた紫のスーツを

「『弁護士』!」
アイラが叫ぶ。ルソーはそれに気づき、振り返る
外傷も、拘束もなにもない。後ろの二人が息を吐く中、アイラだけはそれが逆に疑問に思えた
そしてそれは、素直に言葉になって吐き出された
「お前、何で無事なんだよ?」

ルソーは指をそっと自らの口の前に立てた
「静かに」。まるでそう言わんとばかりに彼らに示したのである
その意味が、アイラにはわからなかった
そして、その意味を考える間もなく

ルソーは、左胸から包丁を取り出したのである