バ科学者のノート 2冊目

小説をただひたすらに書いていく

75 火が灯る日

「ヒナコちゃん?」
上の空になっていたヒナコはそこで意識を取り戻した
「仕事中に上の空なんて珍しいわね。最近どうしたの?」
「あ、あはは、何でもないですよ」
先輩社員は首を傾げ去っていった。ヒナコは大きくため息を吐く

あの日、『赤髪の殺人鬼』に忠告された日から、ヒナコのやる気は大きく失われていた
何も口にしなくても、いつか襲われるかもしれないという恐怖が、彼女にはあったのである
「……事件記者を止めたお父さんも、こんな気持ちだったのかな」
ぽつりとつぶやくが、それに返す相手はいなかった



とぼとぼと一人帰る道
すれ違う人の顔すらも見られず、ヒナコは自分が情けなくなってくる
と、そこに
「ヒナコさん」
声をかける相手がいた
顔を上げると、よく見知ったグラデ―ションの髪の男が立っていた

「……その、元気ではないですよね」
近場のカフェについたルソーとヒナコは、各々飲み物を注文して向き合っていた
「私、知らなかったんです。ルソーさんが、その、脅されてるなんて」
「僕のことは心配しなくていいんですよ」
落ち着かせるようにルソーは言う

「でも! あんな怖い人に脅されでもしたら! 私は、私だったら、気が狂いそうで……」
涙声になってでも言葉を紡ごうとするヒナコに、ルソーはやさしく頭を撫でた
「優しいんですね、コマチさんは」
「えっ……?」

「実は、今日はその『赤髪の殺人鬼』に関する話し合いにこれから行こうと思ってるんですよ」
鞄をかるく叩き、ルソーは言った
「その、前回の密着取材をふいにした件もありますし、もしよかったら、一緒に行きませんか」

ヒナコにとってこれは大きなチャンスだった
今後の影響も懸念し、『赤髪の殺人鬼』に関する情報は少しでもほしかったのだ
「いいんですか、私なんて連れて行っても」
「責任は僕がとります。大丈夫。今度はおいていくような真似はしません」
ルソーは紅茶をあおり、カップを皿においた

「……ルソーさんに何かあったら、私が責任をとります。だから、案内してくれませんか」
コマチの瞳に、久しぶりに火が灯ったのである