バ科学者のノート 2冊目

小説をただひたすらに書いていく

8 『折り鶴』

先に動いたのは『折り鶴』の方だった
地面を蹴りだしルソーに迫り、左腕を伸ばす
その腕がルソーの首にかかる前にルソーは身を低くしてかわし、包丁を胸を狙って突き上げた
だが、包丁の根元を『折り鶴』に掴まれ、刃先が胸に届くことはなかった

暫く拮抗が続いていたが、ルソーは包丁を持つ右手に、電気が走るような痛みを感じた
すぐに包丁を手放し、『折り鶴』を振り払って距離を置く
(今のは……)
ルソーが考える間もなく、『折り鶴』は距離を詰めてくる
ルソーは咄嗟に、道端に捨てられていた鎖を引っ張り出し、『折り鶴』を妨害するように投げた
『折り鶴』は鎖を掴み、一瞥すると

掌で、砕いてしまった

「!!」
血の気が引くのがルソーにはわかった
両手にも、長い服の中にも、おそらく凶器はない
だが、鎖でさえも容易に砕いてしまうその「掌」
あれに捕まれば、死ぬ
凶器を持っているより厄介かもしれない。ルソーは新たな包丁を取り出しながら一歩引いた

『折り鶴』が飛びかかった
寸でのところで飛び上がってかわす。指が地面に食い込み、砂煙があがる
視界が奪われ、『折り鶴』はあたりを見回す
その時、その砂煙を裂くように数本の包丁が『折り鶴』に襲い掛かった
それに気づいた『折り鶴』は腕をふるって包丁を弾き飛ばす
僅かに腕が切れるが大したことはないだろう
しかし
後ろに回り込んでいたルソーが、『折り鶴』の左肩を貫いた

「……ちっ、外しましたね」
月の光が遮られたからだろう
気配に気づいて『折り鶴』は振り返りかけていた
もしタイミングが遅れていれば、背中を通して胸を貫かれていただろう
逆に、もっと早く気付いていれば刺される前にかわせていたはずであったが

「っづ……!?」
痛みに顔を歪ませる『折り鶴』は、肩に刺さった包丁をルソーごと吹き飛ばした
距離をおき、相手の様子を伺うルソー
その左肩からは、ぼたぼたと音を立てながら大量に血が流れ落ちている

(今なら!)
ルソーは包丁を握りしめて蹴りだした
動きの鈍くなった『折り鶴』を、次々に切りつける
足を、腕を、腹を、胸を
『折り鶴』は振り払いこそするものの、その動きに俊敏性はなく、少しずつビルの壁際に追い詰められていく
そして、その刃が『折り鶴』の首に襲い掛かろうとした
その時

ぐらり
視界が傾いた
そのすぐ後に轟音が響き、全身に痛みが走った
その首には、『折り鶴』の右手
ルソーは、瞬間的に動いた『折り鶴』の右手に捕まり、壁に叩きつけられていた

状況を飲み込むまでに時間を要している暇はなかった
死ぬ
その言葉が頭を過り、ルソーは咄嗟に持っていた包丁を右手首に突き立てた

「っ!」
一瞬、『折り鶴』の手が緩む
しかし、もがいて引き離す力も余裕もなかった
左利き、と言ったハシモトの声が浮かぶ
(……何が、左利き、ですか)
ルソーは頭の中で、そう毒づいた

「……」
『折り鶴』はちらりと自分の左腕を見た
肩を貫かれ、今や殆ど動かない利き腕
再び前を見れば、自分を殺そうとする奴の、まだ生気を失っていない眼
風が吹く。それに煽られ、フードが脱げる
長い水色の髪が、風に揺れた

「……降参、しろよ」
『折り鶴』は呟く
「この状態じゃ折ることはできねぇ。けどよ、絞め殺すこと位ならできるんだぜ……?」
「貴方こそ、もう限界なんじゃないですか」
ルソーは、それに返す
「その出血量じゃ、意識を保つことで精一杯の筈です。もう間もなく、貴方は失血で死ぬ」
そして、ルソーは、僅かに『折り鶴』の胸に切っ先があたるように、包丁を向けた
「もっとも、その前に刺しますけどね」
『折り鶴』の口角が、僅かに上がった

互いに一歩引く
そして、地面を強く押し返す
『折り鶴』の伸ばした右腕が、ぶつからんとする二人を遮る
ルソーはその先にある標的の胸に刃を突き刺すために
『折り鶴』は、右腕の先の標的を絞め殺すために

「「おおおおおおおおおお!!!」」

額合わせの拮抗は、永遠に続くものと思われた
しかし

パァン
一発の銃声が鳴り響いた
『折り鶴』の体が大きく傾き、右手が離れる
ルソーは反射的にその右手をはじくと、『折り鶴』に体当たりをかまし
バランスを完全に崩した『折り鶴』は、そのままその場に倒れた

素早く正面に向かい、包丁を振り上げるルソー
だが、その手を誰かに掴まれ、振り下ろすことができなかった
ルソーは掴まれた手の先を見る
そこには、草香がいた

「草香……さん?」
「ルソーさん、だめです。人を傷つけては……、殺しては、いけません」
その目は、アンドロイドであるにもかかわらず、あまりにまっすぐで、ルソーも思わず息をのんだ

「……」
ルソーは包丁をその場に落とすと、踵を返して歩き出した
「る、ルソーさん、あの人は……」
草香はルソーの後を追いながら、地面に倒れた『折り鶴』を見た
気絶しているのか、『折り鶴』は少しも動かない
「放っておいてください。……どうせ、放っておけば死ぬ」
ルソーは小声でそう言って、歩を進めた

月はもう、高いところを通過していた