バ科学者のノート 2冊目

小説をただひたすらに書いていく

27 『狗』

一斉に襲い掛かる犬を、アイラが左腕を振るって弾き飛ばした
壁や床に叩きつけられる犬たち
それでもなお立ち上がり、次々とルソーとアイラに喰いかかる
ルソーは容赦なく犬の口に包丁を突っ込んで切り裂き、アイラもまた、犬の首を掴んではへし折った

「畜生、多すぎるだろ、こんなの!」
「いくら殺してもキリがありませんよ」
水仙』の時の負傷が抜け切れていないアイラの息が上がりだしていた
ルソーはそれに気づいていたが、目の前の犬を切り裂くのに必死で手を貸せない

「くくく、いいねぇ、この眺めは。これだから殺人鬼はやめられない」
やや離れた位置で犬笛を吹く『狗』はにやにやと嗤っていた
「てめぇ、自分で手を下さずに「殺人鬼」だ? なめてんじゃねえよ、そんなの殺人鬼じゃねぇ!」
「……べつに、それでもいい。俺は「殺人鬼」に拘ってるわけじゃねぇんだ」
「はぁ?」

「こうして犬を操り、気に入らないものを排除する。犬は俺の「狗」。それに気づかせてくれたのは、こいつ」
『狗』は、自らの握る犬笛を掲げた
「この心器が、俺をここまで導いた。俺が、こいつらを使って、全てを支配するんだ。天が示したこいつの意味は「支配」……!」
『狗』は思い切り口角を釣り上げた

「つまり、この笛はァ、「支配者」の証ィ!!」

「支配者ぁ? ふざけんじゃねぇよ! てめぇなんかに従ってたまるか!」
「『折り鶴』、後ろ!」
ルソーの声に気付いたアイラは、後ろの犬に振り返りざまに拳を叩きつけた
ルソーは『狗』を睨みながらも、横から襲い掛かる犬の首を切りつける
「いつまでその威勢が続くか、確かめさせてもらうぜ……?」
『狗』は笛をくわえた、その時

外の方から、高い犬の声が聞こえた
直後、扉が開く。そこにいたのは
「ちょっと、何の騒ぎなの!?」
「『仕立て屋』!?」
マープルを連れたヤヨイであった

「マープルが突然反応するから、何があったのかって……」
家に踏み込むヤヨイ
同時に弾かれたように犬が襲い掛かる
「『仕立て屋』! 危ない!」
ルソーが声を上げた。その時だ

「ステイ!」
ピタリ、と、犬の動きが止まった
その光景にルソー、アイラ、そして『狗』までもが驚く
「……うん、よく訓練されてる」
ただ一人、ヤヨイがその視線を受けながら、先頭にいた犬に近づいた

「でも、かわいそう。目に見えて痩せてる。食事も世話も十分じゃない」
その言葉で、アイラは気が付いた
家に入る前に漂っていた腐臭。それは、劣悪な環境で育った、この犬たちのものであると
「……この犬たち、皆、貴方のなのね?」
平淡に、しかしやや怒気を含んでヤヨイは言った
その目は確かに『狗』に向けられている

「な、なんだよ、お前……。行け、犬ども! あいつらをまとめて喰らい尽くせ!」
『狗』が笛を吹く。犬が即座に反応する。が
「ホーム!」
ヤヨイのその言葉に、犬がまた一斉に足を止めた
「な……」

「貴方たちは悪くないの。だから、これ以上従うのは止めて、一度戻りなさい。ホーム!」
少しの沈黙。そして、犬たちは次々と振り返り、元の場所へと歩き出した
「な、おい、何をしてるんだ、お前ら! 従え! 従えっつってんだろ!」
幾度となく笛を吹く『狗』。しかし、犬はもうそれに従わなかった

「……『仕立て屋』、お前……」
いまだに驚きを隠せないアイラにわずかに微笑み、ヤヨイは正面切って歩き出した
左胸から鋏を取り出し、徐々に『狗』との距離を詰めていく
事態が飲み込めず混乱している『狗』は、なんとかその場にあったカッターナイフを手に取ったが、ヤヨイの一振りで簡単に弾かれた

「……どうして、大切にしてあげられなかったの」
ヤヨイは口を開く
「あの子たち、とても辛そうだった。蓄積するダメージに耐えているようだった。そんなのも見逃して、どうして無理をさせたの。貴方、最低ね」
「だっ、黙れ! 俺は「支配者」だ。従えるために多少のことは」
「「支配者」?」
『狗』の言葉を切るように、ヤヨイは言った
「犬でも人でも、相手のことを思いやれない人間が支配者になれるわけないでしょ……!」

「貴方は、「支配者」、いえ、支配される「狗」ですらない」

ヤヨイは蹴りだし、一気に距離を詰める
そして、握りしめていた鋏を振り上げ、『狗』の喉に突き立てた
辺り一面が血の海と化し、人間だったそれが崩れ落ちる
しかし、ヤヨイは尚も鋏を振り下ろそうと掲げた

「『仕立て屋』! もういいです、その人は事切れてます!」
制止するルソーの言葉に、一度動きを止めるヤヨイ
しかし、下ろした鋏を持つ手が震えていた
「こいつは……、こいつは、許せない。もっと、早く気付いていれば、こんなことには……」

鋏を落としたヤヨイは、しかし胸から新たに糸を取り出すと、死体を縛り上げた
「……今日、遅くなるから。フブキさんにばれないようにしておいて」
そういうとヤヨイは死体を担ぎ上げ、出口へと向かった
リードを引きずりながらマープルもついていく
彼女の後姿を、ルソーとアイラはただ茫然と眺めることしかできなかった