バ科学者のノート 2冊目

小説をただひたすらに書いていく

57 「迎えに行くね」

白で統一された個室に、ルソーは横たわっていた
経過は順調で特別な機器をつける必要もなく、ただ左腕に栄養剤を点滴されつづけているだけである
そのなげだされた左手を握り、フブキはただじっとルソーを見守っていた

「失礼します」
一言声をかけて、ヤヨイが病室に入ってきた
入り口付近にいたアイラが視線を投げる
「ルソー君、まだ眠ってるんだね……」
ヤヨイは小声でそう呟き、小さな台の上に林檎をおいた

「フブキさん、もう、丸三日殆ど寝てないんだとよ」
アイラが言う。ヤヨイはフブキを見た
フブキは微動だにしない。精神的にも相当まいっているようだった
「……こういう時、何て声をかければいいか、分からないよ」
ヤヨイの言葉に、アイラは視線を落とした

「殺人鬼(俺たち)」らしくない。アイラは思った
人に情けなどかけず、簡単に命を奪ってしまうのが殺人鬼
今こうして人が眠っている姿を見て胸が苦しくなるのは、あってはならないのだ
暫く表の世界で過ごしたせいで、頭がおかしくなってしまった。アイラは思う

そうしてアイラは、自らの左腕を持ち上げた
いっそ、あいつを殺してしまえばいいのではないか。そんな考えがよぎり、しかしアイラはそれを振り落とした
生きているだけで充分であることに、フブキが気付いてないだけなのである
死んでしまえば、元も子もないのだ
どうしたらいいのかわからず、アイラはまた左腕を落とした



一方
がさがさと袋がこすれる音を鳴らし、草香は病院へ向かっていた
なんてことはない。ただの簡単な買い出しである
いつでも誰かがルソーのそばに居られるように、交代式でそばに居ようと決めたはずだったのだが、フブキがあんな様子であればそんなことは言ってられなかった
休息を必要としない草香は、彼女の様子をずっと見てきたのだから

そこに
「おや、誰かと思えば草香じゃないか」
聞き覚えのある声が聞こえ、草香は反射的に振り返った
そこに立っていたのは、白いシルクハットとスーツ、そして青い眼
名瀬田だった

「……何の用ですか」
警戒しながら草香は問う。名瀬田はニコニコしながら手を振った
「何って、ただの散歩に決まってるじゃないか。いやぁ、ラッキーだなぁ。こんなところで君に会えるだなんて」
「私は今、最低な気分ですよ」

「そんなこと言わないでくれよ。これも運命の思し召しじゃないか」
名瀬田はゆっくりと近づく
草香は下がろうとしたが、名瀬田によって投げられた仕込み刀が足元に刺さり、足を止めざるを得なかった
「そんなに冷たくしないでくれよ」
草香の顎に手を当て、名瀬田は言った

「昔の「恋人」同士じゃないか」

「離れて!」
草香は荷物を手放し、掌に銃口を現し名瀬田に向けて放った
しかし、寸でのところで名瀬田は離れ、銃弾は空をかすめるばかりであった
「うーん、いくら兵器でも初号機だね。銃弾が単発ごとに出せないのは痛いんじゃない?」
「黙ってください。貴方に私のことをとやかく言われる筋合いはありません!」

「……やっぱり、それは、僕のもとを離れたせいなのかい?」
「っ……!?」
名瀬田の言葉を、草香はすぐ飲み込むことができなかった
だが、彼が続けざまに連ねた言葉が、徐々に現実を見せていく

「うちの研究所が壊滅状態になった時さぁ、僕自身はやばいと思ったんだよね。ほら、残党がいること知ってたし、このままだったら君たちが、というより、君が危ないだろうなって思って。だから、君の電源を落として、僕の所で管理してたんだよ。それなのにさぁ、この間の軽い地震のあと、君はいなくなっちゃって。もう何処に迷子になっちゃったんだろうって――」

「やめて!」
悲鳴に近い叫びを草香はあげた
信じたくなかった。かつての仲間はあの研究所の残党に殺され、自分だけが名瀬田の管理の元「生き残っていた」という事実を

「……でもさぁ、君にはまだ、「悪い虫」がついているんだ」
名瀬田は混乱する草香に微笑みかけた
「それを、すぐに払ってあげるから。今なら、あの忌々しい『赤髪の殺人鬼』だって、殺せるんだから」
名瀬田はそう言って、刀を抜き取り、踵を返した

「今夜、迎えに行くね」
その言葉と共に消えていく名瀬田の姿を、草香は呆然と見送ることしかできなかった
地面に落とされた荷物が、僅かに潰されていた