バ科学者のノート 2冊目

小説をただひたすらに書いていく

30 作戦変更

虎屋は眉間にしわを寄せたまま北河の部屋にいた。
北河がお茶を出す横で安藤がパソコンのキーを打っている。
「なるほど、羽鳥ちゃんをこのままステージに上げるのは難しいと」
「そうなのよ……」

 

路上ライブの練習を始めて2週間ほどだが、最初ほどではないにせよ羽鳥の震えはいまだにとれない。少なからず緊張がお客側に届いて不安にさせるのではないかという心配が虎屋の頭をもたげる。
「一回戦、何だったっけ、うちらの曲」
「『Stand up!!』だったはず。一回戦目だからね。元気で明るい曲でsalvatoreの位置づけを確立し、インパクトを与えたいんだけど」
「声の震えがないのが救いかしらね……。とてもじゃないけど「元気に明るく」とは今指示できないわ」
「ていうか、そもそも羽鳥ちゃんがハツラツってわけではないしなぁ……。いっそ君が出るかい、虎屋ちゃん?」
「馬鹿言わないでくれる?」
「冗談だよ。……でもなぁ……」
テーブルをはさんで虎屋と北河が腕を組み悩む。

 

パソコンのキーを打つ手を、安藤は止めた。
「状況は分かった。今の羽鳥に『Stand up!!』を唄わせるのは、俺も酷だと思う」
「よしくんがそう言ったらどうしようも」
「最後まで聞け。「『Stand up!!』を唄わせるのが酷だ」としか言ってないぞ」
「ということは、打開策があるのかい、安藤くん?」
安藤はテーブルにパソコンを置いて楽曲ファイルを開く。部屋に流れる音楽に、虎屋と北河は顔を見合わせた。
「これって……」
「羽鳥に「ある指示」を出したうえで、この曲を歌わせる」

 

「ちょっとまって! 『Happiness tear』はバラードよ!? 最初の作戦をふいにするの!?」
「成功の算段がなければ作戦を立てること自体がそもそも無駄だということだ。それに、震えが止まらないのなら、逆手に取る手段がある」
安藤の声は真剣だ。無策で曲を変えたわけではないと北河は判断する。
「……音楽の世界において、僕らの中で安藤くん以上に知恵が回る人はいないからね」
「……そうね。よしくんの判断なら、従った方がいいかもしれない」
虎屋が折れたのを見て、北河は続けた。
「それで、安藤くん。羽鳥ちゃんには、なんて?」