バ科学者のノート 2冊目

小説をただひたすらに書いていく

83 そして、

ドン
地に響くような音を立ててルソーは立ち上がった
それに好奇の目を向ける当主
ルソーは自らの両腕を左胸に押し当てた

ズルズルとあの嫌な音が、しかしいつもより長く溢れ出す
そうして出てきたものは、いつもルソーが使ってた包丁ではなかった
そう、その圧巻の巨大さはまるで
「鯨包丁、か」

ぜぇぜぇと息を吐くルソー
下を向いていた視線がギッとあげられ、当主をとらえた
それは、生に対する執着と、相手に対する復讐心の現れであった

音高く足をならし、ルソーは当主に突っ込んだ
そして、その勢いのままに鯨包丁を突き上げた
それを剣でいなす当主
ルソーは負けじと回転を繰り返しながら、次々に鯨包丁を振るう

「ふん、遠心力なしじゃ操れないようなら」
当主は剣を握りなおして突き上げた
「所詮、それっぽっちだったってことだな!」
鯨包丁が高く弾かれる
ルソーは迷うことなく高く飛び上がった

ルソーが鯨包丁を再び取り上げる前に、当主は確実にルソーを貫ける
そんな状態であった

「――!?」
当主が途中で不意に襲い来る痛みに、足を止めなければ
当主は痛みの走った肩を見やる
そこに刺さっていたのは、ルソーが常用していた包丁
そう、鯨包丁は陽動でもあったのだ

そうして、ルソーは鯨包丁を振り下ろした



「『弁護士』!」
アイラたちが部屋になだれ込む
ルソーは鯨包丁を転がる当主の首元に突き立て、背中を踏みしめていた
当主にはまだ息があった。決着がついてすぐだったようだ

「……くっ、くくく」
不意に当主が笑い出した。その場にいた全員に緊張が走る
ただ一人、ルソーだけがそれでも当主を見下していた

「ひっさしぶりに会ったと思ったらまぁ、ここまで成長してるとはよ、ルソー・ハレルヤ」
突如自分の名を呼ばれても、ルソーは姿勢を変えない
「両親の復讐か? いいねぇ家族愛。最っ高だ」
「おい、何が言いたいんだジジイ!」
アイラが苛立って叫ぶ

「そんな復讐に身を入れる前に、自分の身内を心配すべきだったんだと言ってるんだ」
ルソーにはそれが何を指しているか理解できた
無論、姉、フブキの存在である

「あの女の子は今どうなってるかなんて、微塵も考えてなかったくせに」
そういって笑う当主
それを見、ルソーはただ一言返した

「今のうちに笑ってろ」

それだけ言ってルソーは踵を返した
「おい、ルソー! あいつ、殺さなくていいのかよ!」
アイラの言葉に、ルソーは横目に返す
「あいつは殺しません。もっと、惨い目にあっていただきます」
そう言ってルソーは走り出した



自宅の前にたどり着いたルソーが見たものは、大量の死体と、犬と、その端に打ち捨てられているハシモトだった
「ハシモト!」
「ルソー、早く行け。俺だけじゃ全員を止められなかった。フブキさんが危ない」
ハシモトの言葉にルソーは頷き、ドアを蹴破った
廊下を抜け、居間のドアを開けたルソーが見たのは

数人の男の死体と、呆然と立ち尽くすフブキであった

フブキの手には赤黒い包丁。紛れもない心器であった
「……ルソー?」
フブキはこちらに気づいて、包丁をその場に落としゆっくりと歩み寄る
そして、そっとルソーを抱き寄せた

「ごめんね、ルソー。私が知らない間に、ものすごく頑張ってくれたんだね」
抱きしめられるルソーも呆然とその言葉を聞く
「もう、大丈夫。大丈夫だから、安心して」

ルソーの中で何かが決壊した
彼はフブキの背にしがみ付き、ぼろぼろと大粒の涙を流しだしたのだ
そうして、彼は大声で泣いた
久しく感情を表さなかったルソーは、長い時間、姉にすがって泣いたのであった